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2014年05月08日

懐かしい石嶺のパチンコ屋さん

 石嶺のパチンコ屋で2年程遊んでいた当時、私の財布は札入れが2つ有る物でその1箇所にはチャックがついており
そこには常時3~5万程入れていた、いわゆるパチンコの軍資金(資本金)で、通常の金とは区別していた。もちろん、いつも勝つとは限らず最初は負けが続いた。しかし殆ど毎日行くと、台の調子が判ってくるもので特にその頃からは台の球出し状況もコンピューター調整されていたし昔流の釘調整よりはコンピューターで球の出入り数は管理していたと思う。懐かしい石嶺のパチンコ屋さん


それにたくさんある機械列の中で目玉台はほぼ定数化されており、しかも顔見知りになった先輩達が機械情報を提供・・・中にはガセネタも(笑) いわゆるバランスを取りながら目玉機械(台)を決めているので遊び台・・・客の玉を食いながら出玉も結構良いので客は「もしかしたら停量台かもシーサーオス」と入れ込み最後に蟻地獄・・・これに引っかかったら大変なめに遇うジンクァヤー台である。
       
懐かしい石嶺のパチンコ屋さん


       「やっぱ日向ぼっこはいいニャン」

パチンコ帰りに一杯飲むのも楽しみの一つなのだが何か満たされないものを感じるようになっていた。
というのはパチンコで勝ってもその金を使う事ができない、なぜなら明日の軍資金として残しておかなければならない金額があるので勝ったからといってそんなに贅沢できるわけでもない。それどころか 自分がケチになってきているような気がして嫌だった。自分の金だのに自由に使えない・・・ああ、嫌だなぁ・・・パチンコに振り回されているんじゃないか? しかも時間ももったいない・・・( ノ゚Д゚) よし! もう、ここらあたりでパチンコから足を洗おうパンチ! そう決心したが引き際をどうするかそれが大事だと思い、よし10万勝った時点できっぱりやめよう!懐かしい石嶺のパチンコ屋さん
  仲良し親子

 
 それからしばらくパチンコとの真剣勝負、結局 10万まではいかなかったがそれに近い金額 8万~9万近く勝って
それ以来パチンコとは縁を切った。パチンコ屋に行ったのもプレイ中の友人を待ちながら1千円程度遊んだ事が1回あるくらいで完全に縁切りできた。勝ってやめたので何の悔いもないのが幸いしたのだろうと思う。

 「あぎじぇー、最初のタイトルは資産運用ぬーやーくーやー言って、ただパチンコぐゎーぬ話びけーなームキー とお思いの読者諸氏の皆さん、

 「話や今からどぅ面白くなてぃ いちゃびんどー」
次回は 「200万貸金の顛末」

                     では又次回まで。


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