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2013年06月08日

名優 「真喜志 康忠優 」

 私は小さい頃からうちなー芝居が大好きだった。うちなー芝居が好きなのか単に「みーむんじょーぐー」なのかは知らな

いが・・・名優 「真喜志 康忠優 」

 私の郷里本部町には45年くらい前までは映画館が2つもあり1つは「洋画、うちなー芝居」専門の本部琉映(或いは沖映だったか?)、もう一つ

が邦画専門の本部劇場で田舎の町で娯楽の殿堂として君臨していた。名優 「真喜志 康忠優 」 

 当時はうちなー芝居もよく巡業で来たもので私の母など「奥間英五郎一行」の臨時の飯炊きおばさんとして働いた事もあ

ったとのこと(私は小さすぎて当然記憶にない。)「奥間英五郎」優・・・えい の時は合っているでしょうか?と言えば

よほどうちなー芝居の通じゃなければお名前もご存じないかも知れない。

 私が本部でみた芝居で一番記憶に残るのが「琉球」・・・源 為朝伝説・・・で特に真喜志 康忠優名優 「真喜志 康忠優 」(であったろうと思

うが間違っていればご容赦いただきたい。)演じるところの「八町礫:はっちょうつぶて」の喜平次  為朝は確か

玉木 伸優名優 「真喜志 康忠優 」であったと思う、何しろ今から45年くらいも昔の話だから記憶も定かではない。とてもスケールの大きな芝居

でうちなー芝居であるにも拘わらず「共通語」の多い芝居でもあったなという記憶がある。もちろん時代背景やストーリー

も全部理解できる年齢であり芝居であった。

 青時から真喜志優には大いなる関心を持って芝居もよく鑑賞させていただいたものである。

新報ホールでは「春秋幸地城」「護佐丸と阿麻和利」 沖映本館では 「復員者のみやげ」。 「国難」も沖映本館だった

だろうか。ちょうど私がうちなー芝居にはまった頃に真喜志優は円熟期真っ盛りの頃と思う。 特に骨太の役は優の真骨頂

であり、あの時のうちなー芝居鑑賞でバージョンアップした琉球史観は私の宝物である。

 真喜志優はなんといっても独特のオーラがあったしいるだけでその場が引き締まりもしたし、和やかな雰囲気も醸し出す

うちなー芝居のゴッドファーザー(?)であった。

 舞台以外にもテレビ等で「琉球三国志・・・う茶当真五郎」、 「さらば福州琉球館・・・徳村按司」 「巡検の

官・・・金武若按司」等々。

 うちなー芝居の俳優が国の重要無形技能保持者・・・「国宝」になれないのはなぜだろう? 琉球舞踊「宮廷舞踊」名優 「真喜志 康忠優 」みた

いに一つの確立した型がないから?  それともその他に説得力のある合理的理由があるんだろうか?

 難しい芸術論は私は詳しくないので論述できないが「真喜志 康忠優」の素晴らしい生身の「わざ、技術」を観る事ので

きた事を有り難く、また誇りに思う。

 




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この記事へのコメント
今日は。。サッカーがあったせいか。。車の通りも少なかったです。

私も ちょっとサッカーに 興味を持ってしまいました( ´ ▽ ` )b
Posted by まなびだるまなびだる at 2013年06月05日 01:48
後半の終盤からしか観なかったけどいい試合でしたよ。
 特に前半は面白かったみたいですね。
Posted by 阿麻和利阿麻和利 at 2013年06月05日 10:25
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