てぃーだブログ › 三線と中国語を語ろう会

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Posted by TI-DA at

2019年01月10日

阿麻和利久しぶりの投稿です





我が家の猫たち。阿麻和利久しぶりの投稿が猫スナップとはなんとも「?」であるが

なかなか可愛い猫の表情に」癒される日々です。

 これから後も努めてブログ更新していく予定ですのでよろしくキョロキョロ  

Posted by 阿麻和利 at 00:18Comments(0)ひとり言

2014年08月19日

携帯(スマホ)故障?

最近スマホ携帯の調子が悪く、たとえば1日充電しても電池の消耗が早かったり「バックアップに失敗しました」等々のメッセ-ジが出たり
とにかく順調ではない。
 そして遂に今日に至っては起動スイッチを押しても起動せず、スイッチを長押ししてタイミングが合えば起動するという最悪のパタ-ン。仕事を終え自宅近くの携帯会社へ直行。

                          
                      中国蘇洲 「拙政園」 
 
そこで色々すったもんだした結果修理に出すことに、修理は10日くらい日にちを要するということなので代替えの携帯を提供してもらうことに・・・それで自分のアドレス帳を代わりの携帯にコピ-する事にしたが私の携帯SDカ-ドのデ-タを、提供してもらった代替え携帯が読み込めないという。さあ、どうしようか? 携帯会社の社員さんも一生懸命手を尽くして対策を練るも何ともいい解決方法が浮かばない。
そのうち何かの拍子にSDカ-ドを抜いたままスイッチをON、OFにしたら・・・アイ(°д°) 何かうまくいきそう指輪キラキラな感じだ。それを何度か繰り返すうちにどうやらSDカ-ドの不具合に全ての原因がありそうだという事が判明し今日はたして携帯は正常に戻っている。
 そこでアドバイス 「携帯が起動しない時はSDカ-ドの不具合も疑ってみて、カ-ドを抜いてから試してみるべし



ニコニコ。昨日はすっかりブル-だった気分も今日は文字通り秋晴れだ
                  
                上海 「東方明珠タワ-」  

Posted by 阿麻和利 at 21:35Comments(0)ひとり言

2014年08月18日

知行合一

「知行合一」・・・(己の知っている事・・・知識?)と行いは一致しているべきであるという意味の四字熟語。 まだ純粋な正義感溢れる若い頃好きな言葉で
それにそぐわない自分を激しく自己嫌悪していた遥か昔のこと・・・
今はそれに そぐわない自分に慣れきった現実に漬かってしまった。

 還暦・・・暦によれば六〇年で人生はリセットできるという意味か?
ならば、私も六〇年前にタイムスリップして自分をリセットしてみたい・・・昔の純粋で、感受性があった頃の自分に。
           
  

Posted by 阿麻和利 at 00:20Comments(0)ひとり言

2014年07月23日

ぬち(命)ぬ洗濯

 7月も下旬に入り一段と暑さ(熱さ)も増してきた昨今、去った20日に私の郷里 本部町で「沖縄俳優協会」の地方巡り公演
「泊阿嘉」のお芝居がありその鑑賞に午前中から繰り出していった。
 若い頃「泊阿嘉」は何度か観た事があるが最近は常設芝居小屋がないし、劇団にしても専門の劇団はないしと、うちなー芝居にとって黄昏時期?ただその中にあって「沖縄俳優協会」の活動が少しずつ盛んになりつつあるのは嬉しいことだ。

 さて今回のお芝居、主演は金城真次、伊良波さゆきの両氏である。

 先月、両君と偶然に出会い 公演のことを知り、本部での公演、更に、なんと少からぬご縁を賜った「瀬名波 孝子」優も出演すると聞くに及び またぞろ自分のお節介虫が動き出し本部での芝居の宣伝を引き受ける事になり7月5日は金城、瀬名波、赤嶺、そして私の4名で本部に午前9時那覇出発で宣伝に行ってきたばかりだ。本部は町民の皆さん「み-むんじょ-ぐ」でましてや
生の俳優さん演じる芝居とあって反応も上々で私としても率先して引き受けた甲斐があったなと嬉しかった。
 当然上演当日も大入りの観客で立ち見も出るほどであった。再度の上演を期待して本部から那覇への帰途についた。
本部の友人たちとも再開を喜び心地よい疲れを覚えた一日であった。  

Posted by 阿麻和利 at 21:21Comments(0)筆のむくままに・・・

2014年07月22日

株式投資:最後の取引

 バブル期に始めた私の投資ごっこも、とうとう手仕舞いする時がきた。
以前書いたように私にはお墓を新築するという大きな命題が課されていて、それも普通のお墓じゃなくて:私の両親、祖父母、二つ分の墓である。狭い沖縄で まことにもって非効率的なことであるが昔からの習慣であり、また両親からも姉からも前から約束させられている事なのでどうしても守らないといけないのだ。

          
                 清明祭での一コマ

 損失を承知で手持ちの株を全て処分し、(借金もして)500万ほどつぎ込んであった資金が300万まで減ってしまい その残った300万でどうにかお墓の建築資金に充てた。 そしてマンションの頭金は姉に頼み込みなんとか作る事ができた。思えばマイナスからの新マンション生活の始まりであった。

 さあ、借金まんがたみーの 阿麻和利がーんびっくり!

どのようにそれを返済したのか、次回から借金返済に東西奔走する記事を書いて見ることにする。

         

          律儀にまだ中期国債ファンドの残高案内書が届く  

Posted by 阿麻和利 at 22:03Comments(0)筆のむくままに・・・

2014年06月26日

株式投資: 泣いた株 儲かった株(1)

中期国債ファンドから本格的に株式投資に進んでいった私、まずは証券会社の営業さんの推薦する銘柄を買い一端の投資家気取りである。
しかしそれも理解(?)できる、なにしろ売買金額が安い株で40万、高いのは・・・いくらだろう?という金額(マネ―ゲ―ム?)である。
 当時(バブル直前期か?)は勿論現金取引だから30歳そこそこの若造が自分の給料の2~3倍の現金を持ち歩き証券会社の回収専門社員(嘱託社員)と受け渡しをしていたのである。最初に取引した銘柄は失念してしまったが一番印象に残っている銘柄は「三井東圧」と2部上場の「日本シャ―リング」で特に「日本シャ―リング」は2千株持って>おり1千株で手数料を差し引いて16万円儲かった。しかしまだ株価は上昇気配だったので1千株はすぐに「売り注文」を取り消し申請したが、それが通る筈はなく決済されてしまったが、その日の内に1千株で24万円の上昇までいった何とも惜しい株であった。
                       
               株取引で景気の良い当時(25年くらい前)「首里リウボウ」で買った背広・・・現在でも愛着している。

      

         
            これはおまけのライちゃん、本記事とは関係ありません。

 当時は株で利益があがるとその配当方法も自分なりに決めてあり、まず自分の可処分所得で利益の3割、妻への配当(我ながら偉い)で1.5割、残り5.5割が自己資金への流用という風に決めていた、なぜなら前に述べたようにパチスロでの一件(儲かったのにそれを使い切れない)というもどかしさを味わいたくないためであった。  

Posted by 阿麻和利 at 22:23Comments(0)ひとり言

2014年06月11日

我が友「詐欺師N君」 「豪傑H君」

 かくして中の町社交街に繰り出したNと私は とある2階、ピアノ生伴奏のある 見るからに高そうなバーに入った。
彼は慣れた仕草で酒、つまみ等を注文して「今日は君に世話になったからここの勘定は私が持つからゆっくりしていってくれ」と言った。しかし勘定を彼が持つといっても そもそもその原資は私が用立てした金からでるんじゃないか、と少ししっくりとしない思いがした。まあ、とにもかくにも3時間ほど飲んで私は那覇に帰ったのだが、あまり釈然としないのでT証券のKさんにこれまでの経緯を話したら、「え、君のところまで訪ねてきていたのか!」と驚いた様子であった。
 Kさんの話によるとNは2年くらい前にT証券を退職し現在は以前の顧客を訪ね歩き、例の鉱物採掘権の地図を餌に詐欺まがいの事をしているらしい、との話をしたのだ。やはり何かおかしいなと思ってはいたのだが、それで私に金の無心をしたのだな、と合点がいった。その後3ヶ月程してNから電話があり「那覇まで行く途中だがタクシー代が足りないので1万円貸してくれ」というのだ。前に貸した16万円もまだ返してもらってないのに、またかと思い、「あいにく今日は金を持ってないし前貸した金も返してもらってないから俺も弁当代に事欠いているくらいなので俺の借金を返してくれ」と答えたら「今はないが、その内必ず返すから今日は何とかならないか?」との事。「那覇に行くのなら、金は無いが俺のバイクなら乗っていっていいからとりに来い。」と言ったら流石にこたえたのかそれで電話は切れてしまった。
株で儲かっていた頃買った乾燥機・・・殆ど使うことなく愛猫たちの餌貯蔵庫にガ-ン 
結局Nと再会したのは貸した金を返済してもらうため私が打った芝居にNが引っかかり耳を揃えて持参した沖縄市与儀?有名なモーテル街がある329号線沿の ある養鶏場の前であった。私は友人の面倒見はいい方だが裏切りは絶対に許さない(笑)
・・・怖いな爆弾 Nから利息はもちろん、取ってないが
それ以上にいいものを提供してもらった。
 私もだいぶ借金をしてきたが今は殆ど完済した
。しかも友人から受けた恩を裏切るような真似は絶対にしない。
平成4年に今のマンションを購入し首里から越してきた。もちろん借金をして購入したマンションだ。その頃は未曾有の好景気に湧いていたバブルが最盛期を過ぎまさに今からはじけつつある時期で、株式投資に入れ込んでいた私は借金やら何やらして集めた500万ほどの金を殆ど株に投資していたのだが連日の凄い値下がりで、あっというまに含み損が増え、株を処分しようにもできない時期であった。処分すれば資産の減少が確定してしまうがそのまま持ち続けておけば確定はしないのである。当時、両親を相次いで亡くし、しかも1人長男である私はお墓の建造をしなければならず、しかも2基分の墓(祖父母と父母のを別々に)で、墓だけの建造費で300万かかるし、金の工面をするため遂に株を処分した結果500万の株が半分以下の価値になってしまい大きな損失を被りまた借金をするはめになってしまったが怖さはなかった。逆にどうせ借金するんだったら大きく借りようと思ったし大きい金の動かし方、借り方、借りた金の返す順位等々貴重な経験をしたものだ。そのような中、友人の不動産業者から紹介され購入したのが今のマンションなのだ。
 その時ある親友から150万借金し、100万は4年で返済し終わったが、残金50万はかなり長い事(15年以上か?)そのままにしてあった。私としては早く返済しないと!と思いつつも子供たちの成長と共に膨らむ一方の生活費、教育費等々でついその友人に甘えてしまった形である。しかしその友人Hもその間、私に一度の催促もした事がない(15年間もである)し私も
返済の猶予を申し入れた事もなければ連絡を入れた事もなく彼が沖縄にいるのか、内地に行ったのか、等々も知らずに時は流れていった。つまり一般的に言えば借金債務は消滅時効にかかってもいい時期を経たのだ。しかし私に消滅時効云々は全然考えた事はなく、最近になって ようやく彼に返済する金の当てができたので、15~6年ぶりに電話を入れたら、まるで昨日今日の借金のやり取りみたいにごく自然に話が弾み近くの居酒屋へ。 私はこれまでの非礼を侘びたが 彼は一言の恨みがましいことも言わず、しかも私がせめてものお礼に、ということで上積みした利息15万円
も受け取る理由がないという、銀行に預けてもそんなに利息は付かないし、利息で私から儲かろうという気はサラサラないというのである。「それでは私が困るから」と言っても頑として聞かず、1万円だけ貰うというのだ。これには私も呆れたが彼の男気を認めてやらんといけないと思った。それで暫く時をおいてから彼のお母さんに それとなく渡そうと思っている
。勿論彼には内緒でだ。

   NとHどちらも私の友人だし2人を比べてはいけないのだが何となく淋しい思いだ。
 
 話の内容がかなり生臭くなってきましたが、内容は全てノンフィクションです、リアリティを出すため少しイヤミな写真 の投稿もありますがご容赦ください。

   さあ、次回は儲かった株、泣かされた株・・・どんどん深みにがーん・・・  

Posted by 阿麻和利 at 23:28Comments(0)筆のむくままに・・・

2014年06月03日

詐欺師「N君」

 学生時代、同じ学科にN君というのがいた。 歳は私より1歳上だが学年は一緒で何となく馬が合うというか試験前には彼の間借り先で勉強もしたし、かなり親しく付き合っていた。しかい卒業してからはお互い忙しいのか連絡もないまま5~6年程過ぎていた。私はその頃、先に話したようにT証券に勤めていたK先輩の勧めもあって既に中期国債ファンド(今はもうその商品はないかな?)を始めており、いずれ株式投資もしてみようと思っていた時であった。
 ある日N君がひょっこり私の勤務先に訪ねてきたのだが、それには私もびっくり
 (°д°)したが懐かしい思いが先に立ち昼食を一緒にとり、近いうち又会う約束をして別れた。
それから1週間ほどして再び彼はやってきた。早めに仕事を終わらせ彼と喫茶店でおしゃべりして時間の経つのも忘れるほどであった。
彼の近況を尋ねると何と彼もT証券に勤務しているとのこと。ただそこは一身上の都合で近々辞める予定だという。
 彼は鞄から1枚の地図らしきもの取り出し「これは南方方面の資源採掘に関する地図だが、これをある商社に面倒みてもらうプロジェクトに取り組むので今の会社は退職予定だ」と私に見せた。なんか胡散臭い話だと思ったが熱弁をふるう彼をみたら そんなもんかな?と聞くともなしに聞いていた。
 その後、彼は私に金の無心をしたのだが、たまたまその時中期国債ファンドを処分した金が16万円ほどあったので1月くらいならいいだろうと彼に貸すことにして首里の私の家まで一緒に行くことにした。その後彼は自分の家に戻る時間になったのだが自分の住んでいるアパートを教えたいから一緒に行こうと誘ったものだから別段断る理由もないしそのまま彼と一緒に北中城にある彼のアパートまで行くことにした。
 彼の住むアパートは「エメラルド」という割と名の知れたステーキやの近くにある2階の小奇麗な部屋である。そこに長居もする予定もないので帰ろうとする私に「今日は大変ありがとう、金まで用立ててくれて助かった、お礼に今日は私が持つから『中の町』に飲みに行こう」というのだ。それもいいな と2つ返事で2人中の町まで行く事にした。

 長くなったのでこの続きは次回(明日にでも)・・・

   今日は挿入写真も適当な物がなく文章だけで淋しくなってしまいました。ガ-ン  

Posted by 阿麻和利 at 00:17Comments(0)ひとり言

2014年05月29日

木ぬ曲いや、ちかーりーしが、人(ちゅ)ぬ曲いや使ららん。

「木ぬ曲いや、ちかーりーしが、人(ちゅ)ぬ曲いや使ららん。」
 母が健在の頃よく口にした言葉である、意味は 「木の曲がった物はそれぞれの曲がり具合とかに応じて使い道もあるが
人間の曲がったやつは使えないよ」・・・確かに曲がった木などは三線立てとか はたまた 大きくて形よく曲がったモノなどは床の間の飾り木に使えるかも知れないしいろいろ使いでもあろう。ところが人間の曲がった奴・・・腰の曲がったお人じゃあないですよがーん。ここでは精神の或いは根性、性格のひねくれた者 という意味ですので(念のため)そういう人は使えないし使いたくもない。 言い得て妙な黄金(くがに)言葉である。
私の周りにはそれに当てはまる人がいないので遊書で表すとこのようになるのかな?
      
          「じいぐやー」と「ぼーちらー」       
 さあ、貴方はそして私は「曲がったちゅ(ひと)じゃあ・・・ないですよねガ-ン

 次回は、私の親友と思っていたが、いつしか曲がって行った人「詐欺師N君」というテーマで進めます。  

Posted by 阿麻和利 at 23:31Comments(0)うちなーぬ くがに言葉

2014年05月28日

株式投資デビュー

 以前パチンコ三昧の様子や200万貸し借りの投稿をしたが今日から2~3校ほど私自身が行なった株式投資について書いてみたい。
親友S氏の事業も順調にいき資金回収も何の問題もなくいき手元に200万の金を手にした私はとりあえずこの資金をどうにか運用したいと思い考えたのがT証券(当時)に郷里本部出身の大学の先輩で(高校は別)、しかも1時期、「波の上」のビジネスホテルで同じバイト仲間でもあったK先輩が浦添支店の所長か何か、とにかく、いいポストでいるという事を聞き即、電話でアポイントを取り5年ぶりくらいの再会を懐かしんだ。
 その時に「まずは中期国債ファンドから手堅く進み、おいおい株も始めたらいい。」とのアドバイスを受けプチ投資家デビューの「道」、いや「未知」かな? あるいは「無知」かも・・・
 
             中国・・・周荘

             杭州・・・西胡

           仲間の皆さんと
 あの頃は若く多少の失敗は挽回できるという自信に溢れていたからいろいろ冒険もしたし海外旅行も、バンコクから始まりハワイ、台湾、中国に至っては5回もいっているし結構な国をまわったものだ。
 夢を掴みたいと思っていたあの頃が楽しく懐かしく思い出される・・・私も年かなガ-ン
その「楽しかった事、しまったびっくり!、ヤッタびっくりアップ 」等々については次回から述べていく。

 そして今勉強中の資金運用を軌道に乗せ、また再び以前のように楽しい(決して今が楽しくない訳ではない)日々を過ごして行く決意(大袈裟かな?)を表明する意味でこのシリーズを楽しく書き進んで行く予定でいる。  

Posted by 阿麻和利 at 22:20Comments(0)ひとり言