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2013年02月02日

中国語との最初の出会い


 私が初めて中国語と出会ったのは大学2年生で第2外国語として選択した時であった。

 最初の選択科目は柄にもなくドイツ語であった。

しかし教科書代はいつの間にか友人やサークルでのコンパ(当時は主にサークルでの飲み会をこのように呼んでいた。)で有意義に

使ってしまい、教科書のことはすっかり頭のどこにも存在しなくなった。

 さあ、講義が始まったが教科書はなし、注文しても(大学の生協に本屋さんがあった)最短で2週間はかかるし、その間講義は

待ってくれないし、しかもドイツ語なるもの男性、女性で単語の区別があるやら、時制に厳しい制限等があるし、先生は厳しい講義で

 有名な 仲○間 ○ 児先生・・・空手劉衛流(世界チャンピオンの佐久本嗣男氏、豊見城あずさ氏幾多の有名な空手家を排出)

  説明が長くなったが仲井間先生は劉衛流5代目宗家でもあるので厳しいのは当然のことだったかも知れない。

更に先生は、私の記憶に間違いがなければ美術にも造詣が深かったように思える。滅多に笑わない真面目一筋といった

感じの先生だったがある種、独特のオーラが出ているような紳士然たる方で男として魅力ある先生だった・・・お元気でしょうか?

 そんなこんなで私のドイツ語は無血開城に終わり、それならば同じ漢字を使っていて解りやすい(思い込みも甚だしいガ-ン

中国語を迷うことなく選択したのである。

 先生は私たちと年齢差もあまりない 児○○子先生、先生は琉球大学中国語クラブ草創期の学生でその実力は隣の首里高校の

 学生にも知られるほど有名だったらしい。・・・実際私の同学に高校生の時 「琉大祭」での先生のスピ-チを聞いて憧れて

中国語を学び始めたという方から直接聞いた話であるし現在でも中国語学習者の間では必ずお名前のでる有名なかたです。

 K先生は講義は大厳しく変熱心で、質も高く、宿題も多く我々学生は悪戦苦闘しながらも楽しく受講でき中国語学習を継続したいと

思う基礎がその時に出来上がったと思われる。次回も中国語の魅力について書く予定。ぶーん
 



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